■北京市の歴史


  北京は、世界でも有名な歴史的文化都市、古都の一つである。早くも70万年前、北京の周口店地区には「北京人」の原人の一群が出現している。

春秋戦国時代、紀元前1045年に、燕諸侯国の首都となり「薊(けい)」と呼ばれる。この時代のこの地方は、国都の洛陽からは遠く離れた辺境であり、常に北方の匈奴などの遊牧民族の侵攻に悩まされていたが、紀元前221年の秦の始皇帝による中国統一から937年まで、北京はずっと中国北部の要衝であり、地方政権の都であった。

秦・漢時代に「北平(ほくへい)」と呼ばれるが、満州地方の開発が進み高句麗などの国が立つと、戦略上、また商業上でも重要な拠点として重要視されるようになった。また、北京市に隣接する河北省は、三国志の英雄劉備の故郷で知られるとともに、隋の煬帝が築いた大運河の北の起点とされている。

唐滅亡後に五代十国時代の騒乱に入ると、内モンゴルから南下してきた遼帝国は五代の後晋に兵力を貸した事でこの都市を含んだ燕雲十六州の割譲を受けた。938年に、遼はこの都市を副都の一つ南京としたが、遼が金に滅ぼされると金はここに遷都して中都となり、更に金が元に滅ぼされると大都となり首都とされた。

その後、明の朱元璋が元を追い落とした後は、もとの北平の名称に戻され、首都は南京に置かれた。この地の王に封建された朱棣(後の永楽帝)は、1402年ここから建文帝に対して反乱を起こし、自ら皇帝になり遷都してこの地を「北京」とした。

1911年の辛亥革命後も、中華民国は北京を首都としたが、南京を首都とした蒋介石の中国国民党政権は1928年6月15日、直隷省を河北省、北京を北平と改称した。1937年から1945年まで続いた日本軍占領期は北京の名称が用いられ(公式には1940年に改名)、日本の敗戦によって北平に復した。

1949年10月1日、中華人民共和国成立によって北京の名称が復活した。

 
  毛沢東(もうたくとう)。中国の政治家、軍人、思想家であり、中華人民共和国の建国の父とされている。逝去に至るまで同国の最高権力者の地位を保った。